ABOUT

祖父は中川太郎平。私も中川太郎平。

「子孫の祈祷は先祖の祭りなり」
人は一枚の「葉」。先祖の幹や根より、枝となり「葉」となる。
「葉」の一文字に「言」を「言葉」、「隠」を「葉隠」なる二文字は感慨深い。
私の心は父祖の精神に同じくし、父祖が遺した身体。
ここに語らせていただき父祖を祭る。私事、父祖に祖父に乗じ「言葉」とす。
祖父は、身体より霊気を発し放射。その感圧感は独特な存在感。
節度のある自由人。実直な人柄。先を見据えても、俯瞰思考。

祖父と共に。
大阪の実家、南同心町に本店を置き、名古屋の鶴舞にて支店を構え事業を営む。
週末、私を連れ彦根の家にて過ごすのが常。敷地内の厨子には、自賛ならぬ自己の起源。
屋敷の西方に構えた厨子には黄金色の如来が座し、
奥には数体の甲冑、その一体の甲冑中に髑髏が顔を覗かせ、額にダイヤモンドが輝く。
厨子に所蔵される、家系図、古文書を読む、解く。
先祖は、幕末の動乱の折、井伊直弼の側近に有り国策に携わった僧であり武士。
その昔祖先は、水害の度に流される木の橋。木に変えて石の橋を造らせた功績。太郎助橋。
所蔵される、軸の一本に歴史学者頼山陽の筆。この軸一本にて当時は家が建ほど、
現在も所有する頼山陽、富岡鉄斎共に現在そこまで価格価値は無い。
浦上玉堂の軸は一本も無かった。
余談ながら、川端康成所蔵した玉堂の冬景色図は特に素晴らしく、国宝。

先祖、祖父から受け継ぎ「つながり」 そして敬重な方々へと「つながる」

私の学業は
鶴舞幼稚園の登校拒否、幼児期が始まり、のどかな早春期へと。
幼少期、隣の吉川楽器店、幸ちゃんは最古の友、芸能人のタモリさんと大親友、共に音楽を育む。
彼の兄貴、吉川雅夫氏はマリンバの名手、近年八十歳記念コンサートを開き、九十まで演奏すると豪語。
早春期を多感に過ごすも、時に不登校、学業は全く疎かとなる。
縁故にて私立大学へ無鑑査入学。身内の異端児私は事なきを得る。
一方、身内は、兄弟、従兄弟は着実に学者、医者、外交官、実業家。お堅く総じて実直。保身にて。
いずれも京都大学に学ぶ、日本の東洋学者の貝塚茂樹さん、京都のお宅に世話になり京大へ通う。
私の家族は、貝塚さん同様に兄弟の物理学者でありノーベル賞を受賞した湯川秀樹さんと、
親戚付合い。しかし血縁関係では無かった。他にも自賛ならぬ保身、後々。

私の活動は
棚谷喬氏へと「つながる」
創成期、どの業界にも頼もしい方がいた、広告業界も同様。
博報堂より始まり、電通にて頼もしい一人、棚谷氏との出会いを機に広告制作会社を設立。
旧電通本社横、外堀通りに社屋を構え、高度成長期と同じくし活動開始する。
会社役員と社員に精鋭を集わせ広告業界に一石を投じる。

芸術評論家の瀬木慎一先生へと「つながる」
人生、藝術、酒と旬の食、慈しみと吟味、多くの高尚を先生より。
「日本画家は富岡鉄斎と浦上玉堂しかいない、よ」瀬木慎一の一言。
例へ、横山大観、川合玉堂、速水御舟などなど多くの日本画家は伝承と権威の上に成り、
いい画家はいない、少ない。解る人も少ない。
その一言は、私にとり清々しく。芸術、世、生を達観、自身らしく生きる指標を得る。
広告創世記を共にした棚谷氏が若くして世を去られてしまった。事を機に、
企業立場より生活者への創作した「言葉」を、描く事により自身を発する「言葉」へ、
短絡的に画業を始める。作品を描き、生活者の元へ届くまで自身にてプロデェースを行う。
画家としての活動は銀座文藝春秋画廊と銀座三越デパートから始まる。
当時の三越デパート美術部は、芸術の振興に一役買っていた。
同時に、展覧会開催にあたり、音頭を取って頂いた名士の御助力も有り、
描いた作品は三百点あまり全ての作品は手元より離れた。

画業にて出会った顧客の方々へと「つながる」
所蔵する作品に加え近代、現代の作品を仕入れ画廊業を開始。
画廊創業の折に、瀬木慎一先生は、画廊業なんとも言えない、と一言。
それは、美術評論家の瀬木先生ご自身も画廊経営を苦労した経緯も有る。
美術作品の扱いと同時に海外作家の紹介。芸術文化交流。

人柄、才能ある作家方々へと「つながる」
理性、直感、創造にて生活を有意義に過ごされますよう。
社会人の方々に向けた「アートスクール銀座」を開校。
「芸術の有る生活」を活動の概念とし、日本の通称「アートスクール」の先駆け。
芸術の更新と普及に貢献活動を実践し、同時に作家方々への雇用を確保。
アートスクール銀座、南青山書画院、東京京橋書画院、南青山こども教室を運営経営。

NYギャラリストのラファエロ•フッド氏へと「つながる」
NYダンボアートフェスティバルに参加。NY最大のアートフェアーに
ラファエロ•フッド氏のギャラリーよりオファー。出品作品は禅題材に書作品。
参加作品は、桐板に墨にて表現。一メーター角の大作、十数点準備。
作品は四枚から成り立ち、一枚一枚に意有り、四枚となり、さらに意を成す。
作品の仕掛にて、来場者へとの禅問答を想定し会場にて楽しみ、試みる。
氏の画廊活動にも貢献すし、幾人かの美術関係者と「つながる」

ディオニシス氏へと「つながる」
ギリシャ人の芸術博士、ディオニシス•フリストフィロヤ二ス氏の思想、考察が深層にある作品。
中川画廊に招き企画展を開催。氏の作品を日本のコレクターに解明かして納める。

ルーマニア芸術界の総督ヨアン氏へと「つながる」
東欧の文化の街、クルージュ•ナポカの芸術大学と国立美術館より、
私への招待状が届き、総督ヨアン氏とのコラボレーションのオファーを受ける。
文化の街、クルージュ•ナポカに地響きが起きるほどの成果と報道を得る。
政治、芸術、文化への影響力を有す。奥深く大きな人物、総督ヨアン氏による成果。

美術大学学長のソロ・ラドゥ氏と総督ヨアン氏へと「つながる」
多忙なヨアン氏とソロ・ラドゥ氏の両名を東京へ招くことが実現し、中川画廊にて企画展を開催。
この時、瀬木慎一先生は病をおして駆けつけてくださり、先生と仕事の最後の関わりとなる。

クルージュナポカ美術大学学長のソロ•ラドゥ氏へと「つながる」
氏は、私の写真作品の被写体となり、私の代表作の一つ。

マルタ共和国の教授博士ラファエロ•ベラ氏へと「つながる」
要塞都市マルタ島のバレッタにあるセント•ジエーム教会美術館にて開催。
重厚な石造りの環境に、和紙を軸に仕立てた禅語作品を展示する。

マルタ国立美術館のサンド•ロデボノ氏へと「つながる」
マルタ共和国の国立美術館に、ギリシャ、マルタ、イギリス、ニューヨークより
志を共にする各国の作家が集い意義深い作品展が実現し友好を深める。

つぎは貴方へと! 「つながっていく」

私の活動信条
物事、媒体、表現などに固執せず、領域を広く捉え行動する。
「中川太郎平」と固定概念を持たれるのを嫌い、名打つのは極力控え、
何者にも執着なく、謙虚に、恩寵をいただいている。

私の活動
書道/絵画/版画/フォトグラフィー/インスタレーション他
芸術教室/アートスクール銀座/南青山書画院/東京京橋書画院の運営経営。
書道教本/絵画カリキュラムの企画制作。
教室環境企画設計/広告媒体企画制作。
詩作/現代詩 作曲/現代音楽
音楽/ピアノ演奏他 様々
舞踊/日本舞踊