中川太郎平
在りし折の一文「connected with」そのまま記しています。
Tarohei Nakagawa will connect
名古屋昭和区鶴舞生まれ。祖父も中川太郎平、曽祖父は中川太郎助。
大学は正門をくぐらず、記せず。
connected with 棚谷喬
広告代理店の博報堂より始まり、電通にて棚谷氏と出会う。事務所を電通通り沿いに構え、役員と社員に精鋭が集う広告制作会社を設立。時を経、棚谷氏が若くして世を去る。後、6年経過し7年を節目に広告の仕事を終止。
connected with瀬木慎一
芸術評論家の瀬木先生は「日本画家は浦上玉堂と富岡鉄斎しかいないよ、川合玉堂ではないよ」笑い、豪語。上手な画家はいても、本当にいい画家はいない。在りし日、川端康成は、浦上玉堂の東雲篩雪図(とううんしせつず)に魅了され、家の購入費用を当て手に入れる。それは後に国宝。先生は話を皮切りに「ほぼ、絵描きは徒弟関係や団体に所属して団を組み、そつなく共存する事。それは、君らしくない」と助言されるも、短絡的に画業に入る。文藝春秋画廊を機に三越百貨店より活動は始まり、キュウレションとプロデュースを自ら担い、作品三百点は全て手元より離す。
connected with 呉昌碩の「書」
北大路房次郎の記念館を訪ねた折、工房に何気なく置かれた呉昌碩の「書」。
石鼓文を基盤とした書はさすがに力強く、おおらか。中国清朝末期から近代にかけて活躍した画家・書家・篆刻・詩歌などに精通している方清代最後の文人。そして、意、必、固、我の「四絶」を備え。太郎平も絵画・書道・写真・造形・音楽・詩作などジャンルを厭わず、定めない。
connected withアートコレクション
中川画廊を創業。書画の軸、頼山陽、富岡鉄斎より、後に、近代西洋絵画のピカソ、ムンク、フランクステラなどを扱う。現代の海外作家も紹介し芸術交流活動を図る。
フォト作品 TAROHEI NAKAGAWA
connected withアーティスト
社会人に向けた複合的な芸術の教室「アートスクール」と称す先駆け。芸術の更新と
普及に貢献活動を実践。その活動は作家の雇用にも貢献する。
社会人の会員1000名。展覧会を、銀座セントラル美術館、代官山ヒルサイドテラスにて、
毎年催事を繰り返し開催。美術愛好者の清々しい作品。
connected withラファエロ・フッド
NY・DUMBO(ダンボアートフェスティバル)参加へと、ギャラリストのラファエロ・フッド氏より招聘される。ダンボのディレクターのジョイ・グリティン氏、他の方々と‘作品は四枚から成り立ち、一枚一枚に表情が有り、四枚にて表情のみならず哲学するアート’ と禅問答。禅をテーマにした展覧会は好評を得、3ヶ月間の開催。
NYダンボアートフェスティバル 会場模型
禅語 1000×1000 桐の板 墨による書
connected withディオニシス・フリストフィロヤ二ス
中川画廊にて、ギリシャ人の芸術博士アーティストの展覧会を催す。表す元となる画像をプロジェクターを通してキャンバスに投影し、即興的に描く手法の独自な具象作品は、レストランの広い吹抜けに展示され店内の雰囲気は一新した。双方に喜ばれ、太郎平は、作家とレストラン経営者へと、いつものように繋がっていく。
connected withルーマニア芸術界の総督ヨアン
ディオニシス氏のキューレションにより、ルーマニアの文化都市クルージュ•ナポカの芸術大学と国立美術館より、総督ヨアン氏と私の2人展への招聘を受ける。総督ヨアン氏は、政治、芸術、文化への影響力を持つ方とのコラボレーション2人展では多くの報道陣と来館者に迎えられた。皆さまは、芸術文化あるいは何ものにも率直にて真摯な姿勢にふれ、私たちが忘れてきている事に気づかされる。
学長ソロ氏と中川恵
総督ヨアン氏と太郎平
美術館館長と広報のマリオ氏
レセプションのマダム
connected withソロ・ラドゥ氏と総督ヨアン
クルージュ•ナポカにて2人展を共にしたヨアン氏と、美術大学学長のソロ・ラドゥ氏の両名を東京へ招き、「幸福の通り1」をテーマに中川画廊にて開催。この催しに、瀬木慎一先生は重い病をおして駆けて頂け、この様な営利ではない真の文化交流は日本の画廊では例を見ない活動と称賛を頂戴。しかし、先生との最後の関わりとなる
大使館員と中川恵
瀬木慎一先生と太郎平
秘書アナマリアさんとソロ氏サロンド
connected with ラファエロ•ベラ
マルタ共和国の芸術大学教授ラファエロ•ベラ氏より日本の文化を紹介してほしいと招依頼を受け、要塞都市マルタ島のバレッタにあるセント•ジエーム教会において、漢詩と禅語による書道の2人展を開催し、ギャラリートークとワークショップも催す。ラファエロ氏の父親は上智大学の教授として日本に縁が有る。
connected with サンドロ•デボ
マルタ国立美術館の館長サンドロ•デボのキューレションにより「I FOUGHT THE X AND THE X WON」のテーマに、ギリシャ、マルタ、イギリス、ニューヨークなどより20数名の各国のアーティストがマルタ共和国の国立美術館に集う。オープニングは猛暑のマルタの夏。スパークリングは身体に留まることなく揮発。
館長サロンド・デボ氏とアーティスト仲間
マルタ共和国 国立美術館の中庭
connected with 一般社団法人七草會
理念
「七草會を冠せず 天を冠する」
「個」は時代を認識し芸術の真価を真摯に追究し社会に貢献する。
「個」を厳粛し他者への敬意につとめ、活動が成されるならば、
「七草會」の方位は、おのずと定まる。
目的
芸術に集い共に創作し、競さず理解に努め敬意する七草會。
国立新美術館において毎年恒例にて七草會ナナ展の開催。
国内海外の美術館にて展覧会を開催し、各地域にて文化交流。
芸術、生活に関わる講演会、研究会、ワークショップの開催。
芸術を媒介又は、手法とし用いて社会や人々の生活に寄与する活動。
芸術と当会に付随するする展覧会図録、広報誌などの刊行。
芸術を媒介に他業態及び、行政との連携する芸術の普及活動。
芸術が将来へ新たな価値を創造しつづける活動。
ナナ展会場風景
かつて、郵便局として建造された建物、
風貌と記憶は削られ、切手スケールの穴が
躯体を突き抜け、洞窟のように何も無い空間。
敷居なども無く、何も物も受け入れる。
connected with 由来のある建造物
「中川画廊」を「太郎平書画院 展示室」と称号を変更して、現代アートの企画画廊を開設。
東京の日本橋本町、京都の西本願寺西、にて芸術活動を行う。
「東京の日本橋」
芸術の普及と更新を目的に
1993年に建造された石を積み上げた
建物には芸術への想いがフランドル語にて
“VOORTDURENDE VERNIEUWING
VAN DE TRADITIES, DE KULTUUR
EN DE GEEST VAN HET VERLEDEN.”
「古来よりの伝統、文化、精神永遠に
新しく生まれ変わる」と記す。
「京都の西本願寺西」
花屋町を行き交う人々は、立止まり仰ぎ見る建物。元、郵便局ビル。その元郵便局ビルの個性は削り取ったかのように見せながらも圧倒的な存在感。今まで目にしたこともない、しかしそこに可視化され、具現化され提起され、内在していた意識にふれ懐かしく蘇り、感銘を得るアートなオブジェビル。